2026年8月、X上で農業について発信しているSITO氏が、農業経済学者の山下一仁氏の主張を取り上げ、「トンデモ画像」「大衆を惑わす“専門家”」などと強く批判していました。
批判の内容は、減反政策、米価の需給均衡、生産コスト、米の輸出など多岐にわたります。
もちろん、専門家の主張だから正しいとは限りません。山下氏の試算にも、検証すべき前提があります。特に「数百万トン規模の米を海外市場で継続して販売できるのか」という点は重要です。
しかしSITO氏の連投を山下氏の原文と突き合わせてみると、それとは別の問題が見えてきます。
山下氏が実際に述べている内容とは違う形に主張を組み替え、その組み替えた主張を批判している箇所が複数あるのです。
「トンデモ」「大衆を惑わす専門家」とまで評する以上、その批判自体についても検証してみる必要があるでしょう。
そもそも山下氏は「JAだけが減反を行っている」と主張しているのか
SITO氏は、山下氏の主張について次のように説明しています。
減反を『JAが農家に行わせた価格操作』と表現するのは、コンビニでレジ袋が有料であることの不満を店員にぶつけるようなものです。
さらに、
政策決定で多少の関与はあったにしろ、他を顧みず政策決定主体と実施主体を混同してしまえば、制度の本質を見誤ることになります。
と批判しています。
これを読むと、山下氏が
「JAが減反政策を決め、農家に減反を強制している」
と主張しているように思えます。
ところが山下氏の文章を実際に読むと、まったく違います。
2026年8月5日の武蔵野大学国際総合研究所の論考では、
「JA農協や農水省は、近年では米価を1万5千円(玄米60kg)とするよう減反を推進してきた」
としており、さらに現在の仕組みについて、農水省が「適正生産量」を決定・公表し、それを基にJAや行政が参加する地域の協議会で作付量を決め、生産者に通知している、と説明しています。
農水省についても相当に激しく批判しています。
過去の記事でも同じです。2025年には見出しそのものが「JA農協と農林水産省の大罪」となっており、山下氏は減反・高米価政策についてJAだけでなく農水省を明確に批判しています。
さらに2023年にも「農林水産省、JA農協や農林族議員という農政トライアングル」が高米価・減反政策を進めてきたと書いています。
したがって、
「山下氏はJAを政策決定主体と実施主体とで混同している」
というSITO氏の批判は、少なくとも山下氏の実際の主張に対応していません。
これは「多少単純化した」という程度の話ではないでしょう。
山下氏は最初から農水省、政治、JAを農政のプレイヤーとして論じています。
それを「JAが勝手に減反を決めたと山下氏は考えている」という形に読み替え、
「それは店員にレジ袋有料化の責任を押し付けるようなものだ」
と批判しています。
相手が実際には述べていない主張を作り、それを批判しているのであれば、典型的なストローマンです。
「減反政策はすでに廃止」なのか
SITO氏は、
「そもそも減反政策は既に廃止」
とも書いています。
しかし、これも山下氏がまさに長年争ってきた論点です。
山下氏によれば、2018年に廃止されたのは国から各地域へ直接割り当てる「生産目標数量」であり、転作等への補助金によって主食用米の作付けを抑える仕組みそのものは残っています。
2026年8月の論考でも、2014年の見直しについて、
生産目標数量を廃止するというだけで、減反政策のコアである補助金は逆に拡充した
と説明しています。
この解釈に異論を唱えること自体はもちろん可能です。
しかしその場合に必要なのは、
「現在の水田活用交付金等をなぜ生産調整政策と呼ぶべきではないのか」
という実質論です。
「減反は2018年に廃止された」という政府の制度名称上の整理だけを持ち出して、山下氏の議論がおかしいとするのは、山下氏が何を「減反」と呼んでいるのかを無視しています。
7000円では生産できないから「需給均衡価格」ではない?
次にSITO氏は、山下氏が示した「国内市場だけなら玄米60kgあたり7000円程度」という需給均衡の図を批判しています。
SITO氏は現在の全算入生産費を挙げ、
50ha以上の大規模経営ですら10,220円/60kg
なので、
どう考えても60kgあたり7,000円では生産者が全体で900万トンを生産し続けることは困難です。
と主張しています。
ここには二つの論点があります。
まず、7000円という需給均衡価格の推計根拠を山下氏に求めること自体は妥当です。
実際、山下氏は以前から同様の議論をしていますが、過去の記事では8000円としていた時期もあります。2014年には「コメの需給均衡価格は8千円/60kg」と書いていました。
したがって、
「なぜ今回は7000円なのか」
「需要曲線と供給曲線をどう推計したのか」
は当然検証対象になります。
ただし、SITO氏の反論はそこで終わっていません。
現在の大規模農家でも1万円以上かかるのだから、
7000円なら農業が崩壊して900万トンなど生産できない
としています。
これは山下氏の議論を正確に捉えているとは言いにくいです。
山下氏は一貫して、現在の零細農家中心の構造を固定したまま価格だけ下げるという話をしているのではなく、農地集積、規模拡大、多収化によって生産費を下げることを主張しています。
つまり、
「現在の50ha以上農家の平均コストが1万220円だから、構造改革後も7000円では作れない」
とは直ちには言えません。
もちろん逆に、山下氏にも
「本当に7000円以下まで生産コストを下げられるのか」
を立証する必要があります。
この部分については、
「7000円という数字の根拠が十分に示されていない」
なら有力な批判です。
ところが、
「現在の生産費が7000円を超えているから経済学的に均衡しない」
とするのは、山下氏が想定する生産構造の変化を無視しています。
さらにSITO氏は、
供給不足によって価格は際限なく上昇します。
とも書いています。
これは需給均衡を論じている文章としてはかなり不思議です。
供給が減れば価格が上がり、価格が上がれば需要量が減少し、供給量も変化して、通常はどこかで新しい均衡点に到達します。
「際限なく上昇」するためには、別の特殊な前提が必要でしょう。
1万1000円を「帳尻合わせ」と断定できるのか
SITO氏は、山下氏が輸出を含めた場合の米価を1万1000円/60kgとしていることについて、
自らが『大規模化せよ』と主張する大規模経営のコスト水準に、事後的に数字を合わせたかのような経過が見て取れます。
と書き、
結論ありきの数字合わせ
と評しています。
しかし山下氏本人は、この1万1000円について、
過去輸入されたカリフォルニア米の平均価格は9千円。日本米は国際市場でもこれより高く評価されているので1万1千円とした
と説明しています。
この推計が十分に頑健か、という批判は当然できます。
「カリフォルニア米9000円だから日本米なら1万1000円」というプレミアムの設定には、より具体的な市場データが欲しいところです。
しかし、
「根拠が弱い」ことと「大規模農家のコストに合わせて帳尻を合わせた」ことは全く別です。
後者は山下氏の意図についての推測だからです。
さらにSITO氏は、
これでは都合が悪いのでカリフォルニア米の話をねじ込んだのでしょう。
とも書いています。
これも同様です。
価格設定を批判するなら、
「日本米がカリフォルニア米より2000円高く売れるという根拠が十分でない」
と言えば済みます。
そこから、
「都合の悪い数字を避けるためにねじ込んだ」
と相手の不正な意図まで断定するためには、別の証拠が必要です。
「トンデモ」を批判する側が、自分では証明できない相手の動機を推測して話を進めてしまっています。
「現在の日本米輸出価格は1万5000円」という反論もおかしい
SITO氏はさらに、
日本産米の輸出価格はおよそ15,000円/60kgで推移している
として、
データに即して計算すると減反をしている場合より下手をすれば上回ってしまう
と主張します。
しかし、これは比較する価格の意味が違います。
現在日本から輸出されている米は、数万トン規模です。
一方、山下氏が考えているのは、減反を廃止して生産量を大幅に増加させ、数百万トンを輸出する場合です。
現在、限られた需要に対して少量を販売して成立している平均輸出価格を、そのまま数百万トン販売するときの価格として利用することはできません。
輸出量を大幅に増やそうとすれば、より価格に敏感な顧客まで市場を広げなければならないため、一般には販売条件も変わります。
しかもSITO氏自身、その直前で、
輸出入米の価格は為替相場、輸送費、品種、品質、契約条件などによって大きく変動します。
と説明しています。
それならなおさら、
現在の少量輸出における平均価格を大量輸出時の価格として固定することもできないはずです。
山下氏の1万1000円を「仮説にすぎない」と批判した直後に、自分は現在の1万5000円を大量輸出時にも使えるかのように扱う。
ここにはかなり大きな矛盾があります。
ただし「350万トン輸出」は本当に検証すべき
一方で、SITO氏の批判の中で最も重要なのは、輸出量です。
2024年の日本の商業用米輸出量は4万5112トンでした。
また政府は2030年に「米・パックご飯・米粉及び米粉製品」を合わせて、原料米換算35.3万トンの輸出を目標としています。
これに対して山下氏は、減反をやめれば300万~350万トン程度を輸出するという構想を以前から示しています。
これは確かに巨大な差です。
2024年実績と比べれば約78倍。
政府の2030年目標と比べても約10倍です。
したがって、
「数百万トン規模の日本米を、本当に海外市場が毎年吸収できるのか」
というSITO氏の問題提起は重要です。
ただし、ここでも単純な倍率だけで結論を出すべきではありません。
世界の米輸出市場全体は近年6000万トン前後の規模があります。
350万トンは世界市場の約5~6%に当たります。
世界市場の物理的規模を超える荒唐無稽な数字ではありませんが、日本が現在の数万トンからそこまでシェアを伸ばすとなれば、価格、品種、市場開拓、物流、現地生産との競争など、極めて大きな課題があります。
しかも農水省自身、輸出拡大にあたって「海外市場の求める品質、数量、価格等への対応」が必要であり、生産コストの低減が大きな課題だとしています。輸出米の採算ラインについては輸出業者への聞き取りから約9500円/60kgという数字も示しています。
つまり、
350万トン輸出の実現可能性は山下氏の構想の中でも特に厳しく検証すべき部分
という点では、SITO氏の批判には意味があります。
ここは山下氏だから擁護する必要もありません。
「5kg1500円論」という括りにも注意が必要
今回のやり取りを調べていて、もう一つ注意したいことがあります。
山下氏の主張を「コメ5kg1500円論」と呼ぶことです。
実際、山下氏は現在、かなり安い米価が実現可能だと明確に主張しています。
2026年8月5日の論考のタイトルは、
「コメの値段は1,300円に下げられます」
です。
本文でも、
「政府の関与がなければ、コメの価格は精米5kg1,300円台まで下がる」
と明記しています。
したがって、「山下氏は安い米価など主張していない」という話ではありません。
一方、別の記事では玄米価格を一定額と仮定し、その価格から5kgの小売価格を計算しています。
つまり「1500円」という数字だけを独立させて、
「山下一仁氏の『5kg1500円論』」
という固有の説があるかのように扱うのも正確ではありません。
山下氏の中心的な主張は、
減反によって供給を制限しなければ米価は大幅に下がる。さらに規模拡大と輸出を組み合わせるべきだ
という政策論です。
その中で条件に応じて1300円台、1500円程度などの試算が出てきています。
批判するなら、この政策論そのものを正確に取り出して検証すべきでしょう。
「大衆を惑わす専門家」とまで言うなら、なおさら正確さが必要では
SITO氏は連投を、
言論の自由を盾に好き放題仮定を立てて大衆を惑わす"専門家"には注意しておきたいものですね。
と締めています。
かなり強い表現です。
しかしここまで見てきた通り、SITO氏自身の批判にも問題があります。
山下氏が農水省を明確に批判しているのに、「JAを政策決定主体だと思っている」かのように扱う。
山下氏が農地集積や規模拡大によるコスト低下を主張しているのに、現在の生産費を固定して「7000円では生産不可能」とする。
1万1000円という推計の根拠を批判するだけでなく、「帳尻合わせ」と相手の意図を推測する。
さらに「都合が悪いのでカリフォルニア米をねじ込んだ」と、証拠のない不正な動機まで付け加える。
現在の少量輸出で成立している価格を、大量輸出時にも適用できるかのように扱う。
これらは単なる一箇所のミスではありません。
山下氏の主張を弱く見える方向へ組み替える傾向が、複数の箇所で同じ方向に現れています。
その意図が何なのかまでは外部から断定できません。
しかし結果として、読者に山下氏の実際の主張とは違った印象を与えるミスリードになっているとは言えるでしょう。
「トンデモ」と呼ぶ前に、相手が何を言っているのか確認したい
私は山下氏の主張がすべて正しいと言いたいわけではありません。
むしろ、
- 国内需給均衡価格7000円の推計根拠
- 日本米を大量輸出した際の1万1000円という価格設定
- 300万~350万トンもの輸出需要を開拓できるのか
- 大規模化によってどこまで生産費を下げられるのか
など、検証すべき論点はかなりあります。
特に350万トン輸出は、現在の実績との隔たりがあまりにも大きく、山下氏側に相当な説明が求められるでしょう。
しかし、それと相手の主張を正確に扱うことは別問題です。
相手を、
「トンデモ」
「結論ありきの数字合わせ」
「都合が悪いのでねじ込んだ」
「大衆を惑わす専門家」
とまで評するのであれば、なおさら相手が何を主張しているのかを正確に読み取る必要があります。
山下氏が実際には農水省を繰り返し批判しているのに、「JAを政策決定主体と勘違いしている」として批判するようなことがあってはならないでしょう。
専門家の主張を疑うことは必要です。
しかし同じくらい、
専門家を「トンデモ」と断じる側の主張も疑って読む必要があります。
今回の一連の投稿は、その好例ではないでしょうか。
参考資料
- 武蔵野大学国際総合研究所 山下一仁「コメの値段は1,300円に下げられます」(2026年8月5日)
- RIETI 山下一仁「JA農協と農林水産省の大罪」
- キヤノングローバル戦略研究所 山下一仁「コメの需給均衡価格は8千円/60kg」
- 農林水産省「米の輸出をめぐる状況について」