第一章 世界中で繰り返される暴動
2026年10月17日、フランス全土で大規模な抗議活動が発生し、一部が暴動へと発展した。ガソリン代や食費の高騰、公共サービスの悪化に対する不満が噴出し、全国110か所で約55万人がデモに参加した。パリをはじめ各地で治安部隊との衝突が発生し、放火や略奪によって商店や公共施設が被害を受けた。
TBSの10月20日の報道によれば、フランスでは高校生らによる教育環境の改善を求める抗議活動が先行していたが、そこに生活苦を訴える市民らが加わり、運動が拡大した。取材に応じた21歳の参加者は、生活費が恐ろしく上昇していることや、政府が対応してくれないことへの不満を訴えている。
出典:TBS NEWS DIG『「パリがここまで荒らされるとは…」生活費高騰などに抗議』(2026年10月20日)
こうした抗議活動はフランスだけにとどまらない。同じ時期、イタリアのミラノでも生活費高騰に抗議するデモの一部が暴徒化し、警察との衝突や店舗の略奪が発生した。ベルギーでもデモ隊と警察が衝突し、ポルトガルでは住宅費や生活費の高騰に抗議する大規模デモが行われた。
出典:朝鮮日報日本語版『家賃・物価高に悲鳴、ミラノ・リスボンもデモ』(2026年10月19日)
しかし、生活必需品の高騰が暴動を引き起こす光景は、決して今回が初めてではない。
2008年4月、ハイチでは食料と燃料価格の急騰をきっかけに暴動が発生した。コメの価格は短期間で急騰し、燃料価格も2か月で3倍に上昇した。暴動では少なくとも5人が死亡し、国連の平和維持部隊まで出動する事態となった。最終的に議会は首相の不信任案を可決し、政権を退陣に追い込んだ。
出典:AFPBB News『物価上昇で暴動、議会は首相の不信任案を可決 ハイチ』(2008年4月13日)
2010~2011年の「アラブの春」でも、食料価格の高騰は失業や政治腐敗とともに社会不安を強める背景となった。2018年のフランスでは、燃料価格の高騰と燃料税引き上げに反対する「黄色いベスト運動」が全国に拡大し、警察との衝突が繰り返された。
さらに2022年のスリランカでは、外貨不足によって食料、燃料、医薬品の輸入が滞り、深刻な物価高騰と停電が発生した。国民の抗議活動は政権を揺るがし、同年7月にはデモ隊が大統領公邸を占拠し、大統領が辞任に追い込まれた。
出典:AFPBB News『経済危機のスリランカ、大統領辞任へ デモ隊が公邸占拠』(2022年7月10日)
国も時代も異なるが、これらの出来事には共通する問題がある。食料やエネルギーなど、人間が生きていくために不可欠なものが高騰し、国民が必要な量を確保できなくなっていることである。
食事を取らずに生きることはできない。暖房や調理、輸送にもエネルギーが必要となる。生活必需品の供給が不足し、あるいは価格高騰によって入手できなくなれば、国民生活そのものが脅かされる。
食料とエネルギーの安定供給は、社会秩序を維持するための基本条件である。これが崩れれば、経済危機は政治危機へと発展する。世界各地で繰り返されてきた暴動は、その歴史的な証拠である。
第二章 インフレ税を資産家から国民へ付け替える仕組み
食料やエネルギーの価格高騰が国民生活を脅かしているとき、政府や中央銀行は何を優先すべきなのだろうか。
世界的なインフレが進んだ2022年以降、米国や欧州をはじめとする各国の中央銀行は、物価安定を掲げて大幅な利上げを進めた。日本も金融緩和から利上げへと政策を転換した。
しかし、金利を引き上げるという政策には、物価上昇率への影響とは別に、誰が利益を得て、誰が負担を負うのかという分配上の問題が存在する。
インフレは物価が上昇する現象であると同時に、貨幣や名目債権の実質価値が目減りする現象でもある。
例えば、10億円の現金を保有している資産家がいたとしよう。物価が5%上昇すれば、その資産の実質購買力は約4762万円減少する。物価上昇率が2%なら、減少額は約1961万円で済む。
貨幣価値の目減りは、広い意味で「インフレ税」にたとえられる。厳密な経済学上のインフレ税は貨幣発行益との関係で定義されるが、ここでは名目資産の実質価値が減少する負担に着目している。
利上げによってインフレが抑制されれば、こうした資産価値の目減りを抑えられる。さらに預金金利や新たに購入する債券の利回りが上昇すれば、利息収入も増加する。多額の利付資産を保有する純債権者にとっては、資産価値の保全と利息収入の増加という一石二鳥の効果が期待できる。
一方、借金を抱える家計や企業にとって、予想外のインフレは名目債務の実質価値を減少させる効果を持つ。固定金利で借り入れた1000万円の返済義務は、物価が上がっても名目額が増えるわけではない。賃金や売上が物価に応じて増えれば、実質的な返済負担は軽くなる。
欧州中央銀行(ECB)は2024年の分析で、次のように説明している。
Unanticipated inflation may lead to a drop in wealth inequality by redistributing wealth from lenders to borrowers through changes in the real value of nominal assets and liabilities.
「予想外のインフレは、名目資産と負債の実質価値を変化させ、貸し手から借り手へ富を再分配することで、資産格差を縮小させる可能性がある」
これは「フィッシャー・チャネル」と呼ばれる仕組みである。ECBは、この効果が十分に働くには所得がインフレに応じて調整される必要があるとも説明している。
出典:ECB『Introducing the Distributional Wealth Accounts for euro area households』(2024年)
https://www.ecb.europa.eu/press/economic-bulletin/articles/2024/html/ecb.ebart202405_02~50a620f16b.ga.html
ところが、利上げは借り手と貸し手の関係を逆方向に動かす。
変動金利の住宅ローンを抱える家計や、運転資金を借り入れる企業では利払い負担が増える。企業が投資や雇用を削減すれば、労働者の所得にも悪影響が及ぶ。借金のない労働者であっても、金融引き締めの負担から逃れられるわけではない。
イングランド銀行は2024年8月の金融政策報告で、利上げが住宅ローン金利と預金金利に波及することによって、純借り手から純貯蓄者への所得再分配が発生すると説明している。
同報告によれば、借り手による消費削減の効果は、貯蓄者による消費増加の効果を上回る。つまり、金利上昇によって社会全体の消費が抑制される仕組みには、借り手と貯蓄者の経済的な非対称性が組み込まれている。
出典:Bank of England『Monetary Policy Report – August 2024』
https://www.bankofengland.co.uk/monetary-policy-report/2024/august-2024
もちろん、資産家の保有する株式や既発債券などは利上げによって価格が下落することもある。しかし、多額の名目債権や利付資産を保有する純債権者が利益を受ける経路と、借り手や労働者が負担を負う経路は、中央銀行自身が認めている。
インフレによって資産家が負担するはずだった実質資産価値の目減りを抑え、その代償として借り手や労働者に金利負担や所得減少を強いる。利上げには、こうした負担の付け替えという側面がある。
問題は、その負担を強いられる国民が、すでに食料やエネルギーの価格高騰によって生活を圧迫されていることである。
第三章 金利を上げても食料は増えない
そもそも、食料やエネルギーの供給不足によるインフレに対して、金利を上げることにどれほどの意味があるのだろうか。
インフレには、需要の増加によって生じるものと、供給不足や生産コストの上昇によって生じるものがある。後者の典型が、異常気象による農作物の不作や、戦争によるエネルギー供給の途絶である。
こうした供給側の問題に対して中央銀行が金利を引き上げても、農作物の収穫量が増えるわけではない。石油や天然ガスの生産量が増えるわけでも、寸断された輸送網が復旧するわけでもない。
この問題は、中央銀行自身も認識している。
イングランド銀行は2026年4月の金融政策報告で、次のように説明している。
Monetary policy cannot undo the increase in global energy prices.
「金融政策によって世界的なエネルギー価格の上昇を元に戻すことはできない」
さらに同報告の「Box G」では、金融政策によってエネルギー価格ショックの直接的な影響まで相殺しようとすれば、国内の基調的な物価上昇率や賃金上昇率を押し下げる必要があり、その結果として失業が増え、実質賃金が低下すると説明している。
出典:Bank of England『Monetary Policy Report – April 2026』
https://www.bankofengland.co.uk/monetary-policy-report/2026/april-2026
つまり、供給不足を解消できない金融政策で物価上昇率を抑え込もうとすれば、国内の消費や投資、所得を押し下げることになる。
ところが、食料は自動車や家電製品とは違う。価格が高騰したからといって、食事をやめるわけにはいかない。
IMFは2022年6月の論考で、次のように説明している。
A demand response can be sizable for energy, but much less so for food because people need to eat about the same amount.
「エネルギーでは需要の反応が大きくなることもあるが、食料でははるかに小さい。人々が食べる必要のある量は、おおむね変わらないからである」
出典:IMF『Response to High Food, Energy Prices Should Focus on Most Vulnerable』(2022年6月7日)
https://www.imf.org/en/blogs/articles/2022/06/07/blog-response-to-high-food-prices
人間には生存に必要な最低限の食料需要が存在する。エネルギーについても、暖房、調理、給湯など生活に不可欠な用途がある。
国民が生きていくために必要な食料やエネルギーの量は、金利を上げたところで大きく変わるものではない。
それでも需要を減らそうとすれば、国民は食事の量や質を落とし、暖房を我慢し、医療や教育に使うお金まで削ることになる。
国連食糧農業機関(FAO)が公開している食料価格危機に関する研究でも、貧困世帯が食料価格の高騰に対応するため、食事を抜いたり、安価で栄養価の低い食品に切り替えたりする実態が説明されている。さらに、交通費や医療費、教育費などを削ることで、健康や将来の生産性にも悪影響が及ぶと指摘している。
出典:FAO掲載資料『The Food Price Crisis and Urban Food (In)security』
https://www.fao.org/fileadmin/user_upload/fsn/docs/The_food_price_crisis_and_urban_food__in_security.pdf
供給不足に対して、需要を削るという言葉が何を意味するのか。
人々が十分な食事を取れなくなり、適切な室温を維持できなくなり、医療や教育まで諦める。そうした生活水準の低下によって消費が減り、物価上昇率が抑えられたとして、それを政策の成功と呼べるのだろうか。
金融引き締めという言葉は穏やかだが、国民の購買力を削ることを通じて物価を抑える仕組みは、まさに「庶民引き絞り」と呼ぶべきものではないか。
食料やエネルギーが足りないとき、必要なのは供給を確保し、国民が生活できるようにすることである。供給不足に苦しんでいる国民から、さらに購買力を奪うことではない。
第四章 暴動を目の前にして、それでも利上げを続けるのか
2026年10月、フランスでは生活費高騰に対する抗議が暴動へと発展し、イタリアをはじめ欧州各地でも同様の不満が噴出している。
第一章で振り返った2008年のハイチ、2018年の黄色いベスト運動、2022年のスリランカ。いずれも生活必需品の高騰や不足が国民生活を圧迫し、政治的な混乱へと発展した事例である。
これほど繰り返されてきた歴史から、各国の政策当局は何を学んだのだろうか。
食料やエネルギーの価格が高騰して国民生活が危機に陥っているとき、必要なのは生活必需品を安定して確保できる環境を取り戻すことである。
ところが、インフレ対策として利上げを進めれば、住宅ローンや企業の借入金の利払い負担が増え、消費や投資が抑制される。企業が投資や雇用を削減すれば、国民の所得にも悪影響が及ぶ。
食料やエネルギーの価格高騰によって、すでに国民は購買力を奪われている。そこに金融引き締めによる追加負担を重ねるというのである。
この問題について、イングランド銀行の2026年4月の金融政策報告は、考えるべき材料を提供している。
同報告では、世界的なエネルギー価格上昇が国内の実質所得を減少させることを認めたうえで、金融政策がその直接的な価格上昇まで相殺しようとすると、失業増加や実質賃金低下といった犠牲が生じると説明している。
つまり、物価上昇率を早期に抑え込むという目標を優先すれば、その費用を国民の雇用や所得に負わせることになるという問題を、中央銀行自身が認識しているのである。
そもそも、物価上昇率が低下することと、国民生活が改善することは同じではない。
仮に食料品の価格が前年から10%上昇し、翌年の上昇率が2%に下がったとしても、価格が元に戻ったわけではない。前年よりさらに2%高くなっている。そこに利上げによる所得減少や借入負担の増加が重なれば、物価上昇率という数字が改善しても、家計の暮らし向きは悪化し得る。
生活必需品が高騰している人々に、もっと消費を減らせという。暖房費が払えない人々に、さらに支出を削れという。借入金の返済に苦しむ家計には金利負担を増やし、企業には投資や雇用を減らさせる。
そのような政策に国民がおとなしく従うと考える方が不自然ではないだろうか。
世界各地の食料暴動や生活費高騰に対する抗議活動は、国民生活が限界に近づいたとき、経済的な不満が政治的な抵抗へと発展することを示してきた。
暴力的な行為そのものを正当化する必要はない。しかし、暴動が発生したときに治安対策だけを議論し、その背景にある生活苦を放置するのであれば、根本的な問題は解決しない。
さらに問われるのが、誰の利益を優先するために、これほどの負担を国民に強いるのかという問題である。
多額の名目資産を保有する純債権者にとって、インフレは資産の実質価値を減らす負担となる。利上げによってインフレを抑え、金利収入も増やせるのであれば、それは歓迎すべき政策だろう。
一方、生活に余裕のない家計にとって、金利負担の増加や雇用の悪化は、食費や光熱費を支払えるかどうかという切実な問題になる。
資産家の実質資産価値を守るために、国民には食費を削らせ、暖房を我慢させ、医療まで諦めさせる。それでインフレ率が下がったとして、いったい何を守ったことになるのか。
もちろん、供給不足によるインフレが長期化すれば、経済全体に悪影響が及ぶ。だからこそ、食料やエネルギーの供給体制の強化、輸送網の確保、価格高騰の影響を受ける家計への支援など、問題の原因と国民生活の保護を直接対象とする政策が求められる。
ところが、供給を増やすことが難しいからといって、国民の購買力を削り、需要を供給量に合わせて縮小させることを優先するのであれば、政策の目的と手段が逆転している。
金融政策の目的は、インフレ率という数字を改善することだけではないはずだ。国民が十分な食事を取り、安心して暮らし、働き、生活を維持できることこそ、経済政策が目指すべき成果である。
2026年、世界各地で生活費高騰への怒りが噴出し、現実に暴動まで起きている。
それを目の前にして、なお国民の購買力を奪う利上げを強行するというのか。
守るべきものは資産家の資産価値なのか、それとも国民の生活なのか。
金融政策が国民生活を守るために存在するのであれば、国民の健康や雇用を犠牲にしてまで需要を押し下げる政策を、当然の選択肢として扱うべきではない。
繰り返される暴動は、生活必需品の高騰に対する国民の怒りを示すとともに、国民生活を犠牲にする経済政策が、社会そのものの安定を損なう危険を持つことを警告している。
物価安定のために国民生活を破壊し、その結果として社会秩序まで失うのであれば、それは一体誰のための政策なのか。
各国の政策当局は、この問いに正面から答える必要がある。